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COLUMN
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2022.06.10
脱毛:医療脱毛について

医療脱毛手技。麻酔を使わずに放射エネルギーを調整する

UNO>>>ichikaraの特徴は、脱毛・その他美容の話だけではなく、お客様やスタッフがそれぞれに起きる日常の出来事を気軽にコミュニケーションすることができて、案外エステサロンとしては珍しいといわれることが多々あります。ですから家庭のこと・友人関係のこと・旅行の話・職場でのことなど、楽しいお話の共有や、たまにはお悩みを打ち明けられることもあります。当店は「最短時間で最大効果」の脱毛・エステサロンをコンセプトにしておりますが、あくまで美容は内面・精神面が支柱になるので、このようにお客様とのコミュニケーションを密に楽しめる脱毛・エステサロンでありたいとも思っているのです。先日お客様から、「友人とのランチであった残念な話」をお聞かせいただきましたので、コラムの最後にこれを紹介し、本題では前回の「蓄熱式脱毛の医療テクニック」についてお伝えしたいと思います。

【目次】
1.蓄熱式脱毛は、脱毛箇所に局所麻酔を使いません
2.蓄熱式脱毛の、放射エネルギーの調整について
3.今回のまとめ

蓄熱式脱毛は、脱毛箇所に局所麻酔を使いません

一般的なレーザー脱毛は、肌(皮膚)深部の毛根部にアプローチをすることから、相当な疼痛(痛み)を発症しますので、各脱毛箇所(顔・わき・うなじ・腕・脚・背中・VIOなど)に対して局所麻酔を打つことがほとんどですし、実際に医療系脱毛治療に麻酔は欠かすことができません。しかし蓄積式脱毛のケースでは、麻酔をすると閾値を超える放射エネルギーで照射してしまう危険性があるため、結果として肌表面に熱傷(火傷)を起こすことがあります。そのため蓄熱式脱毛は、痛みを感じない程度の放射エネルギーで、無麻酔の状態で脱毛施術を行います。

蓄熱式脱毛の、放射エネルギーの調整について

蓄熱式脱毛施術の際には、放射エネルギーを調整することで肌表面の痛みを軽減させながら、それぞれの脱毛箇所に効果を出すための入れるべきエネルギーまで照射を行います。そして脱毛照射エネルギーの調整を決める大切な要素は、「痛い」と感じる強さよりも、レベルを1〜2段階程度落とします。照射エネルギー強度の設定は、被脱毛施術者の体感がすべてであり、脱毛施術者は、常に声かけを行いながら脱毛施術をすすめていかないと正しくないともいえることができます。もちろん脱毛照射エネルギーの強度を落とすとその分照射時間(脱毛施術時間)は長くかかってしまいますが、蓄熱式脱毛のケースでは、脱毛施術する時間を短くするよりも、その人が痛みを感じないように脱毛器(マシーン)を調節し、時間をかけて脱毛施術したほうが肌表面のダメージ(火傷など)は軽く、このように副作用や肌の負担を少なくさせることが大切なことといえるのです。照射エネルギー以外にも、脱毛ジェルを十分に使うことで、対策を行うことも重要なことなのです。

今回のまとめ

冒頭お客様から「友人とのランチであった残念な話」をされた。とご紹介をしましたが、これは「脱毛サロンについて」という話題がランチで盛り上がったシーンのことだそうです。お客様と、ここで登場する友人の方とは、お互い親友といえる関係で、お客様は当店で全身脱毛を卒業されているに対して、親友の方は他の脱毛サロンに長期間通っておられるそうなのです。その某脱毛サロンで受けている内容は、お世辞にもいい脱毛サービスとはいうことができず、例えば乳首を数回火傷させられたり、1年以上通っているのに、減毛の効果をあまり感じていないというのです。お客様は、ここで当店に通うことをおすすめしてくれたのですが、詳しい話を聞くまでもなく、お客様の親友はそれを断りました。おそらくその方は、某脱毛サロンへ数年間かけて通った時間、そして支払った料金を考えると「お店選びに失敗した」と悔いることに防衛する意識が働いているのではないのでしょうか。お客様は、これ以上声をかけると勧誘だと思われることを恐れ、大切な親友に適切な脱毛サロンをおすすめすることができなかったと、いまだに後悔されているらしいのです。私はお客様から「どのように言えば伝わるのでしょうか?」とご質問を受け、その際には「きっとご友人はいま通っている店舗を否定されるとショックなので、そっとしておきましょう。そしていつかご友人から相談があれば、無料カウンセリングに行ってみたら?と、お伝えしてはいかがでしょうか」とお答えいたしました。本当に脱毛サロンの選定は大切です。あらゆる広告を参考にすることも大切ですが、それ以上に大切な関係性の方が、満足行く脱毛施術店舗に通っておられる場合、それが何よりの情報になることもあると私たちは思うのです。