前回は、古代ギリシャと古代ローマの脱毛文化についてお話していきました。古代ギリシャから風呂文化が伝わった古代ローマでも、公衆浴場は大ブーム。「テルマエロマエ」の漫画や映画をご存知の方も多いのではないでしょうか?そんな古代ローマでは、ギリシャと違い、女性ではなく主に男性が脱毛をすることが多かったようで、メンズ脱毛が現代のように流行っていました。そこからどんどん古代ローマの脱毛技術が発展していきます。今回は、古代ローマの脱毛の歴史について、もう少し深くお話ししていこうと思います。
【目次】
1.脱毛を生業とするプロも登場!当時のローマ帝国皇帝も脱毛を怠らなかった!
2.全身脱毛が世間に広まった!除毛のプロ、除毛師の登場!
3.今回のまとめ
脱毛を生業とするプロも登場!当時のローマ帝国皇帝も脱毛を怠らなかった!
古代ローマの脱毛は、毛抜きで行われることが多かったようです。ただ毛抜きを使って引っこ抜くというわけではなく、軟膏も使用しながら丁寧に行っていました。毛抜きと軟膏を使用した除毛を生業とするプロも存在していたそうです。また古代ローマの兵士は、軽石でヒゲを剃ることで清潔を保っていました。兵士にとってヒゲを剃ることは男のステータスであったと同時に、戦闘の相手にヒゲを掴まれ、戦場で不利になることを避ける為という意味合いもありました。紀元前1世紀ごろになると、古代ローマは勢力を強め、初代皇帝アウグストゥスの元、ローマ帝国を築き上げます。ここから、ローマの最盛期を迎えていくのです。この初代皇帝アウグストゥスも、毛の除去を怠らなかったことで知られています。その除毛方法は、焼いたくるみを滑らせて、すね毛を柔らかくしてから除毛していたと言われています。この頃になると、以前は貴族などの上流階級者の嗜みであった公衆浴場が、一般大衆に受け入れられていき、上流階級の特権、ステータスであった全身脱毛も同時に一般市民の間で流行していきます。公衆浴場に通っていた哲学者のセネカは、「体毛を抜くときの呻き声がうるさい」と記述に残しているほど、公衆浴場での脱毛は日常的に行われていたようです。また、古代ローマは当時では比較的寛容な階級制度でしたが、毛を抜くのは奴隷の仕事でした。奴隷は、主人の毛を抜きはしますが、自身の手入れはしません。そのため、除毛していないということが、外見的判断の基準となっていたようです。
全身脱毛が世間に広まった!除毛のプロ、除毛師の登場!
全身脱毛が世間に広まっていくと、ピンセットは鎌形のナイフを使い、ワキ毛を抜いたり、剃ったりする「ワキ毛処理師」なるものが登場します。また、同業者では「除毛師」なるものもいて、除毛後の毛根処理のために客の体に様々な薬品を塗りつけて、発毛を遅らせようと工夫をしていたそうです。しかし、実際に毛根の処理ができていたのか定かではありませんし、肌にとってどのような影響を与えていたのかはわかりません。昔の医療や美容方法は現代の私たちからすると、考えられないことが常識的に行われていました。毛根の処理のためにどんな薬品を使っていたのか・・・想像するとちょっと怖いですね。そのような感じで、実力は不明ですが、一般的には鋭利で危険な刃物を使って毛を剃るのは、こういった専門家や、理容師の仕事でした。古代ローマの後期にあたる400年頃になると、キリスト教が国の国教となり、その後ヨーロッパ全土へ普及していきます。その後ローマ帝国は崩落していくのですが、情勢が安定しているときには、人々は美容や娯楽に目を向ける余裕がありますが、不安定になっていくとそんなことにかまけている暇はなく、ヨーロッパ全土は暗黒時代へと入っていくのです。
今回のまとめ
今回は、古代ローマ、ローマ帝国の脱毛事情についてお話していきました。除毛師や脇毛処理師などの専門職が現れるほどに、毛を処理することが広まっていたローマ帝国。この時代から全身脱毛があったなんて、想像もできなかったですね。現代はメンズ脱毛の需要も増えていますが、福井ではまだまだ全身はちょっと・・・と躊躇される方も多い印象です。しかし、やはりムダ毛がないことはお肌のためにも、身だしなみのためにも、衛生的に考えても良いことです!メンズ脱毛は今や常識に変わりつつあります!ご自身で剃毛や除毛を繰り返している方は是非一度、脱毛をしていただきたいなと思います。痛みがほとんどなく、スピーディーで効果性の高い脱毛をお求めの方は、UNO>>>ichikaraのNPL脱毛を体験してください!脱毛の常識が変わりますよ♪
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中村真綾