メンズの皆様は現在ヒゲを生やしていますか?それとも、毎日剃っていますか?現代の日本では、毎日のヒゲ剃りから解放されたいという方や、ヒゲ剃りを毎日すると肌が荒れるからという方や、清潔感が欲しいからという方など様々な理由でヒゲをなくしたい方が増えてきています。でも、ヒゲを生やしてワイルドに見せたい、オシャレしたいなどの理由でヒゲを残している方もいます。仕事によって左右される方もいらっしゃるとは思いますが、現在の日本ではヒゲを生やすのか、無くすのかはある程度自由に選択ができます。しかし、時代が違えば、ヒゲへの価値は違い、「剃らなければならない」時代もあったのです。
【目次】
1.戦国時代は男らしさを誇示するためにヒゲを生やしていた!
2.江戸時代はヒゲ禁止令が出た?!
3.今回のまとめ
戦国時代は男らしさを誇示するためにヒゲを生やしていた!
戦国時代の武将たちの肖像画を見ると、立派なヒゲを蓄えた人物ばかりです。戦国時代以前、最初の武士政権を作った「源頼朝」の肖像画も、整えられたヒゲが描かれています。日本の古典文学の1つ、軍記物語である「太平記」では、武士のことを「見る恐ろしく、むくつけ気なる髭男」という表現をし、ヒゲを武勇の象徴としていたことがわかります。ヒゲのない者は、「女面を見らるることの口惜しさよ」などと蔑まれていました。そのため、戦国時代の武将にとって、ヒゲは武威を誇示するために欠かせない身だしなみでした。当時、権力のある武将であったにもかかわらず、ヒゲが薄いことをコンプレックスとしていたのが、「豊臣秀吉」でした。そのため、秀吉が付け髭をつけて花見に出かけたり、肖像画も付け髭をつけた状態で描かせたりと相当気にしていたようです。その他の戦国武将たちの肖像画を観ても、ほとんどがヒゲを蓄えており、織田信長や徳川家康といった有名人たちも、ヒゲを蓄えた姿で描かれています。武田信玄や毛利元就、加藤清正といった名だたる武将たちも立派なヒゲを蓄えた肖像画が残されています。この当時の武士たちにとって、ヒゲは勇猛果敢であることを示すためのものであったと言えます。
江戸時代はヒゲ禁止令が出た?!
戦国時代が終わり、1596〜1615年の慶長年間になると、武士階級全体でヒゲを剃る習慣が拡がります。平穏な時代となったため、ヒゲで武威を誇示する必要がなくなり武士はヒゲを剃り始めたが、それと比例して若者たちの間でオシャレとして、もみあげや頬ヒゲが流行し、油を使ってヒゲを整えることがブームになりました。この流行のきっかけとなったのが、「歌舞伎者」と呼ばれる集団の横行でした。歌舞伎者は元々、身分が低く貧しい武家奉公人でした。戦乱の世であったときは、武士に雇われ、足軽などをして生活していたものの、平和な時代となり稼ぎ場所をなくし、居場所をなくしてしまったのです。そんな彼らは伊達男を気取って、大きな髭を蓄え奇抜なファッションに身を包んだ格好をしていました。この歌舞伎者たちが、現代の伝統芸能である歌舞伎の礎になったのです。ただ派手な格好をしているだけならよかったものの、刀の切れ味を通行人で試すという辻斬りや、違法賭博を行うなど、多くの問題を起こしました。そのため、江戸幕府は「風紀の乱れとして好ましくない」と1670年に、身分に関係なくヒゲを禁止する「大髭禁止令」を発令しました。それでもヒゲを伸ばすブームが収まらなかったため、1686年に再び禁令が発せられ、ヒゲを伸ばした男たちを捕らえて刑罰に処していました。例外として、老人や修験者などは許されていましたが、当時はヒゲ自体が野蛮なものとされていました。社会秩序を第一としていた江戸幕府にとって野蛮な印象のあった外国人や、蝦夷地(現在の北海道)に住まう民族がヒゲを生やしている者が多かったため、ヒゲ自体が野蛮なものに見えてしまったのかもしれません。キリスト教の布教を恐れ、鎖国に入っていた江戸幕府によって髭禁止令は3度にも渡り発令されたのでした。
今回のまとめ
江戸時代は、平和が世の中となったため、庶民が活気づき、様々な文化が花開いた時代でした。まるで古代ローマのように華やかに、オシャレや美容を意識する時代でした。髭の禁止令は出ていたものの、華のお江戸と言われるだけあって、日本独自の文化や脱毛の文化も拡まった良き時代でした。次回は明治時代以降のお話をしていきたいと思います。
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中村真綾