1945年に第二次世界大戦の終戦を迎えた日本。沖縄では地上戦も行われ、甚大な被害を出した日本は、終戦後の後もしばらく質素、倹約、簡素な暮らしぶりをしていました。この後再び経済が動き出します。経済が動き出したことにより、日本の文化にも大きく影響が出ます。これまで低迷していた脱毛界や日本人の剃毛文化も復活していくのです。次第に現代の美意識と近い価値観へと発展を遂げていくようになった日本。今回は、昭和後期の日本の脱毛事情についてお話ししていこうと思います。
安全カミソリの普及で、顔剃りの文化が復興する
国産品の西洋レザーが生産されるようになり、元々日本にあった和剃刀は次第に姿を消していきます。(和剃刀、またの名を日本剃刀は、日本の鍛冶職人が作っている伝統的な剃刀で、1000年以上の歴史があり、肌を痛めずに産毛を剃るための道具として長い間使われてきた。現代では、床屋さんでも使用しているのが珍しいとされている。)代わりに、東京を中心に、安全剃刀と呼ばれる西洋レザーの輸入と生産が発展していきました。剃刀が普及したことで、男女ともに手軽に剃刀を使えるようになり、セルフケアとしてカミソリや毛抜きで顔のムダ毛を処理する習慣が復活しました。なんと、わざわざ新聞にも「男性の朝のヒゲ剃りはエチケット」と記述があったというほどです。このことからも、ヒゲを剃る文化の復活と定着がうかがえます。この頃出版された、女性向けの美容書である「美容と作法」には、「顔の産毛がある人は化粧したとしても垢抜けない」とあり、カミソリでムダ毛を剃る練習法が紹介されているのだとか。平安から続く日本の顔のムダ毛を処理する文化は、何千年経っても残っていたようですね。
下着が欧米化することで脱毛が進んだ
昭和20年以降に、日本にアメリカ軍が多く駐留していたことから、アメリカ文化が一気に流入します。日本人の衣服が、着物から洋装に変わっていったのです。上流階級の女性が履いていることが多かったスカートも、庶民の女性が気軽に履けるほどにまで浸透していきました。着物の時にはほとんど素肌を露出することのなかった日本人女性も、洋装に変わったことで、今まで見えなかった部分も露出することになり、それを受けて、カミソリや毛抜きで足のムダ毛を処理する人々が徐々に増えていきました。昭和の初め頃までは着物を着ることが当たり前だった日本人。それまでの日本人女性は「湯文字」と呼ばれる腰に巻く布を下着代わりに着用していました。戦国時代にも、南蛮貿易によって、日本にショーツがもたらされていたという記録はあるようですが、トイレの時に不便だったり、着物に下着の線が出てしまったりすることが嫌われ、普及はしませんでした。しかし、この洋装化に伴い、下着も変わっていき、ショーツが普及し始めました。このショーツの登場により、VIOの毛を処理する女性が一部現れ始めました。江戸時代の遊廓の女性たちしか行っていなかったVIOの除毛を、一般の女性も意識するようになったのです。この一部の女性たちは、剃刀で剃ったり、ハサミでカットしたりと、現代女性が自己処理をするときと同じようにセルフケアをしていました。平安時代には下着を履く文化がなく、湯文字を下着としていた頃も股に布はないため通気性がよい状態で過ごしていた日本人女性にとって、ショーツを履いたこで通気性があった部分が蒸れて、不衛生に感じるようになったため、自己処理をするようになったのでしょう。しかし、現代の日本においても、まだまだそうですが、VIOはデリケートな部分であり、人に話したり、共有したりすることは少なかったため、VIOの処理をする人は少数派だったようです。
今回のまとめ
ようやく手足の剃毛が女性の中でも一般化した日本でしたが、VIOの剃毛に関してはまだまだ浸透していませんでした。現代でも、気にはなっているけれど処理していない人や、脱毛に通ってみたはいいものの、痛みがすごくて断念した方、痛みは耐えたけれど、思ったように減らなかったという方が多いように思います。しかし今、VIO脱毛はメンズ、女性ともに需要が上がってきており、「介護脱毛」という言葉もあるくらいです。メンズの方も女性の方もVIO脱毛が気になっている方は多いはず!UNO>>>ichikaraのNPL脱毛は、痛みなく、安全にVIO脱毛ができます!メンズ脱毛も、女性の脱毛も大歓迎です!
福井脱毛エステティックサロンUNO>>>ichikara
中村真綾